家庭薬の昔 日々進歩する家庭薬の昔をお伝えします!

看板・マークの由来

株式会社 キタニ
マークの画像

喜谷實母散の創業は正徳3年(1713)と言われており、その事情は江戸南町奉行を務めた根岸肥前守鎮衛(1737~1814)が書いた随筆集「耳袋」に詳しく記されています。創業当時、喜谷市郎右衛門の本業は薪炭業であったがゆえ、人々は「中橋薪屋薬」と呼んでいました。兼業の間に、實母散の売上が本業の薪炭業を凌ぐに至って、ついに薪炭業を廃業して實母散の売薬店となりました。その店頭の脇に、一葉の業平竹が植えられていて、これが實母散の目標とされていたとのこと。また、この店頭の竹は昔から喜谷實母散の包装のデザインにも取り入れられてきました。明治に入って日本に商標登録制度が導入された頃、当時の当主8代市郎右衛門は、喜谷實母散の外箱の意匠の商標登録を申請し、明治18年6月2日付けで商標登録第16号として認可されています。日本の商標登録制度が発足して以来、今日まで継続使用されている商標は少なく、医薬品関係では最古のものとなっているそうです。