家庭薬の昔 日々進歩する家庭薬の昔をお伝えします!

看板・マークの由来

喜谷實母散
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喜谷實母散は正徳3年(1713年)創業の長崎の医師より伝授され、難産の婦人を助けた妙薬といわれている。江戸南町奉行であった根岸鎮衛(1737~1814年)が役所勤めの合間に、古老の言い伝えや自分自身が聞き知った面白い世間話や事件などを書き留めた当時の庶民生活や風俗を知る貴重な文献といわれる『耳袋』に詳しく記されている。写真の金看板は昭和初期のものといわれ、現在も株式会社キタニ(喜谷實母散本舗)の本社に保存されているもので、当時本舗のあった東京中橋(現在の京橋)の喜谷實母散の認可販売店である印として各地の店内外に掲げられてあったものである。横長の額看板は横幅3尺、縦1尺5寸で、販売店であった瀬戸喜弘商店用に作られた黒塗り金文字入りで、制作費は金拾参円であったとする記録がある。ちなみに総金黒文字の場合は金拾六円で制作されたようである。縦長の両面袖看板は横幅1尺5寸、縦4尺5寸で黒塗り金文字入りの制作費は金二拾壱円五拾銭で、総金黒文字の場合は金弐拾八円で制作されたようである。