株式会社 老舗恵命堂
創業者柴昌範翁は、藩政時代より藩のご禁制品として屋久島・種子島で栽培され、明治以降は民間薬として利用されていた薬草ガジュツ主剤の胃腸薬「恵命我神散」を昭和8年(1933)に創製しました。恵命我神散の誕生にはこんな話が伝えられています。それは昌範翁の妻シカがみた不思議な夢の話です。ある日のこと、屋久島に菅原道真公を祀ってある菅原神社(現楠川天満宮)にお参りしたとき、本殿前の石垣で手を合わせ祈念していると本殿の戸が開き、中から立鳥帽子をかぶった天神さまが現れ神文を読み上げ始めたという。その内容はわからなかったが、最後に夫(昌範翁)の名前を読み上げたことだけは、はっきりと頭に残っていたという。この不思議な夢の話は昌範翁に鮮烈な印象を与え、自分は天神さまのお取次ぎによって本源的な神から何事かを委託されていることを悟り、菅原道真公の神託を守ることを信念として、87歳の天寿を全うするまで「恵命我神散」を以って病苦に悩む人の救済と故郷屋久島の経済発展にその生涯を捧げたのであります。その証として、天神さまの所縁のある、梅の花をデフォルメした梅鉢を商標としたと今に伝えられています。