子どもの薬の代名詞として愛用されている『宇津救命丸』が誕生したのは400年以上前のこと。
下野国(現在の栃木県)の殿医(殿様専属の医師)として仕えていた宇津家の初代宇津権右衛門が下野国高根沢西根郷(現在工場所在地)に帰農して、村人の健康のために「金匱救命丸」を創製したことに始まります。
当時、救命丸は近郷近在の人々に無料配布され、子どもから大人までの万能薬として重宝されていましたが、その効能が次第に評判を呼び、関東一円から全国へと知られるようになりました。
領民に無償で提供された宇津家の秘薬。
一粒は米一俵の価値(約5万円)と同じと言われていた『救命丸』の製法は一子相伝。代々宇津家の長男だけに口伝で伝えられ、調合する際には体を清めた後、「誠意軒」と呼ばれる当主以外近づけない離れ家で行われました。
江戸時代から明治の初めまで救命丸の調合が行われた誠意軒ですが、宇津家の屋敷の木立の中にあり、今なお当時の佇まいのまま残っています。
一粒が米一俵と同じ価値だった一子相伝の貴重な薬。
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宇津救命丸は、夜泣き・かんむし・胃腸障害などの症状を緩和するデリケートな赤ちゃんのためのやさしいお薬です。自然の生薬だけを使って作られており、創業以来その処方内容はほとんど変わっておりません。直径2mmの小さな丸剤には、オウレン・カンゾウ・ジャコウ・ゴオウといった乳幼児のデリケートな体質に適した8種類の生薬を厳選して配合。原料は採れた姿で入荷し、自社工場で洗浄・粉砕しています。
宇津救命丸の特徴
宇津救命丸の効く仕組み
町の文化財に指定されている「宇津薬師堂」。
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工場の東南の一画に、薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)が奉られている「宇津薬師堂」があります。江戸時代に人々が病苦から救われることを願って建立されたお堂で、栃木県高根沢町の指定文化財になっています。
宇津救命丸の歴史的資料が展示される「宇津史料館」。
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また、工場の敷地内には宇津救命丸の長い歴史に係る資料を集めた宇津史料館があります。宇津救命丸の昔からのパッケージや、江戸、明治、大正時代の薬を作る道具、明治・大正・昭和の新聞、雑誌広告が展示してあります。
栃木県 塩谷郡高根沢町
- 駅前の宇津救命丸の看板
皇室の台所と称される「御料牧場」があることでも知られる高根沢。これに象徴されるように、肥沃な大地ではお米や麦、大豆、イチゴ・ぶどう・梨なども数多く農作物が作られています。町には文化財に指定された史跡や「疏水百選」に選定された湧水池などが点在しており、今では数少ない懐かしいふるさとの景観を残しています。
また、宇津薬師堂では2年に1度、8月9日の薬師の日に「一万燈祭(いちまんどうまつり)」が行われます。このお祭りは、2012年に宇津救命丸が地元への貢献として約50年ぶりに再開したお祭りで、地域の家族連れはもちろん、遠方からもたくさん人々が集まるお祭りとして知られています。