宇津救命丸発売開始年:1597(慶長2)年
江戸時代には一粒が米一俵と同じ価値だった貴重な薬。
江戸時代に創製
宇津救命丸は、江戸時代初期に創製された家伝薬です。その基本処方、剤型は約400年を経た今日の宇津救命丸とほとんど変わっていませんが、その有効性や安全性は、長年の実績とともに数々のデータで証明されています。
宇津家は、以前、下野国(現在の栃木県)の国主・宇都宮家のご典医(主治医)でしたが、豊臣秀吉による宇都宮家の改易がきっかけで、慶長2年(1597年)に下野国高根沢西根郷(現在の工場所在地)に帰農しました。
以来、宇津家は代々名主となり、その家業のなかで今の宇津救命丸のルーツである「宇津の秘薬」を製薬してきました。また敷地内に薬師堂などを建立し、周囲の人々の健康を祈願する場所も提供してきました。
旅の僧の贈物
救命丸の由来は、一説によると・・・ある日、宇津家の門前に倒れていた旅の僧を当主の権右衛門が手厚く看病したところ、僧が世を去る時にお礼として差し出した1冊の書物のなかに救命丸の処方が記されてあった・・・とされています。
ただし、これはあくまでも後世の人々が作ったお話しと思われます。では実際の由来はどうだったのでしょうか?
改易後の宇都宮国綱が慶長の役で朝鮮に出兵した記録が残っています。もしかすると、当時の殿様の主治医である、初代宇津権右衛門も主人に随行し、現地から何らかの処方を持ち帰り、それを元に救命丸を創製したのかもしれません。
処方は秘中の秘、一子相伝
救命丸の処方は秘中の秘として、当主がその子に口伝によって受け継ぐ一子相伝の秘薬でした。その製法は当主が屋敷の片隅にある「誠意軒」にこもって調合を行い、誰も近寄ることができませんでした。その為、明治になって薬に関する法律が施行されるまでは、どんな成分で出来た薬なのか、当主以外は知る由もなかったと言われています。
一昔前の成分表を見ると、一角、虎の眼、熊の肝、麝香・・・といった文字が並んでいます。
領民に無償で提供
“宇津の秘薬”救命丸は、はじめは村の人々に無償で提供されていましたが、その優れた薬効によって次第に評判となり、やがて関東一円から全国に広まっていきました。
また、救命丸を献上していた水戸の一橋家から諸大名にも評判が伝わり、ますます名声を高めました。一橋家は将軍家のお世継ぎを輩出する為、特に小児の健康には気を使っていたようで、当時大人用だった救命丸を小児用として飲ませていた記録があります。また、品薄になった時のことを考え、下野国から江戸まで至急運べる様に、一橋家の御用ちょうちんも授かっていました。江戸中期以降には、旅籠や造り酒屋でも売られるようになり、一層その優れた薬効が知れ渡ったようです。
万能薬から小児薬に
大人向けの万能薬だった救命丸が小児薬となったのは江戸末期。栄養事情が悪く子供の死亡率が高いことを憂い、子供を助けたいとの思いから幼児を対象として販売されました。
宇津救命丸と名称を変更
やがて明治に入り、製薬会社としての経営体系を確立。全国の小売店で販売するようになりました。これにより、“宇津の秘薬”救命丸は『宇津救命丸』と名称を変え、小児薬の代名詞として広く親しまれるようになりました。昭和になり、徐々に工場の近代化を図り、現在では自然環境に恵まれたGMP工場で正確で安心・安全・信頼の商品を製造しています。
小児薬の総合メーカーを目指し
当社は創業以来、宇津救命丸だけを製造販売してきましたが、昭和57年に初めて『宇津こどもかぜ薬』を発売したのをきっかけに、小児薬の総合メーカーを目指して、かぜシロップ、せきシロップなどのかぜシリーズや、ドリンク、整腸剤、桃の葉ローションなど、次々と小児用の薬やスキンケア商品をラインナップしてきました。今後はお子様だけでなく、人々の心身の健康に貢献する医薬品メーカーを目指しています。
商品の特徴
- お子さまのデリケートな体質に適した、自然の生薬だけを配合。
- おだやかな作用の生薬が徐々に作用していきます。
- 乳幼児でも飲みやすい小さな粒です。
- 厳選された八種類の生薬を配合し、自律神経を整えることで、夜泣きやかんむしの症状を改善していきます。
第2類医薬品 ※パッケージは変更する場合がございます。 | |
商品詳細(一例) | 宇津救命丸 |
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効能・効果 | 小児の疳、かんむし、夜泣き、ひきつけ、下痢、消化不良、食欲不振、胃腸虚弱、乳はき |
用法・用量 |
乳児は授乳の際に乳頭につけ、母乳と共に与えるか、又は少量の砂糖・ジュースなどと服用してもよいでしょう。 |
成分・分量 |
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商品構成 | 119粒、247粒 |
※使用上の注意をよく読み、用法・用量を守って正しくお飲みください。
商品に関する詳細情報は、宇津救命丸株式会社の企業サイトで、ご確認ください。