養命酒発売開始年:1949(昭和24)年
世の人々の健康長寿を願い、約400年前に伊那の谷で生まれた薬酒。
創始の精神を守り400年
養命酒は、約400年前の慶長7年(1602年)、信州伊那の谷・大草(現:長野県上伊那郡中川村・大草)の塩沢家当主塩沢宗閑翁が「世の人々の健康長寿に尽くしたい」と願い創製したものです。
慶長のある大雪の晩に
伝説によると、慶長年間のある大雪の晩、宗閑翁は雪の中に倒れている旅の老人を助けました。
三年間、老人は塩沢家の食客となっていましたが、「海山の厚き御恩に報いたく思えど、さすらいの身の悲しさ。されど自分はいわれある者にて、薬酒の製法を心得ている」と、薬酒の秘製法を伝授し、この地を去りました。
薬酒を養命酒と命名
これより宗閑翁は「世の人々の健康長寿に尺くしたい」との念願から、赤石山麓の奥深く分け入り、薬草を採取して薬酒を造り始め、慶長7年、これを養命酒と名付けました。
評判が伊那谷の外にも広まり
当時、養命酒は土中にもとがめを埋め、自然に熟成したものから順に、病気の人や貧しい村人に施していました。やがて、その評判が伊那の谷の外にも広まり、5里も10里も山越えをして養命酒を求めに来る人が絶えなくなってきました。
「養命酒を飲むと瀕死の病人も一度は甦る」という噂から、「この病人はもう助からないかも知れないが、せめて養命酒だけは…」というほど、ありがたがられました。
製法は一子相伝の秘法
文化10年、尾州藩主が養命酒の製法について尋ねたという史実があります。
養命酒は、完成するまでに2300日も要したこと、その製法は塩沢家一子相伝の秘法であったことなどが記されています。
江戸中期の小説に登場
安永3年(1774年)刊行の小説“異国奇談和荘兵衛”には、長崎の唐物屋和荘兵衛が難船して漂流し異国巡りをした時、金銀宝玉国の大王が「養命酒の廻りが来て御悦喜浅からず侯……」と記されています。
また、天明5年(1785年)に作られた長唄“春昔由縁英(はるはむかしゆかりのはなぶさ)”の一節に「末は諸白諸共に千年不老養命酒……」とうたい込まれており、その頃、養命酒の名が江戸でも知られていたことがわかります。
養命酒の効用を一人でも多くの方々へ
「発祥地伊那の谷で300年も飲まれ続けている養命酒の効用をより多くの方々に知っていただきたい」との念願から、大正12年(1923年)6月、家業としての事業を会社組織に改め、全国的に養命酒の紹介を始めました。
戦前、1,000キロリットルに満たなかった養命酒の販売量は、昭和40年代には1万キロリットルに到達。
その後も、多くの方々に本質に対する認知をいただき、海外での需要も増え続けています。
商品の特徴
- 薬用養命酒は生薬の薬効成分による穏やかな作用で、体調を整えて、健康へと導く滋養強壮剤です。
第2類医薬品 ※パッケージは変更する場合がございます。 | |
商品詳細(一例) | 薬用養命酒 |
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効能・効果 | 次の場合の滋養強壮:胃腸虚弱 、食欲不振、血色不良、冷え症、肉体疲労、虚弱体質、病中病後 |
用法・用量 | 成人:1回20ml、1日3回、食前または就寝前に服用する。 |
成分・分量 |
アルコール分 14vol%。 |
商品構成 | 700ml、1,000ml |
※使用上の注意をよく読み、用法・用量を守って正しくお飲みください。
商品に関する詳細情報は、養命酒製造株式会社の企業サイトで、ご確認ください。