キンカン発売開始年:1930(昭和5)年
発売当時はやけど治療薬として販売されていた鎮痒消炎外皮剤。
万能治療薬キンカンの誕生
株式会社金冠堂の創業者・山崎栄二は1916年(大正5年)21歳の時、舞鶴にあった海兵団に衛生兵として入団しました。厳しい看護・薬理・衛生兵教育を受け、これが薬業人となる契機となりました。兄弟で経営していた製紙会社が倒産してしまい、1926年(昭和元年)に栄二は朝鮮半島へ渡り、京城に移り住むことになりました。
甘酒を売ってその日をしのいでいましたが、製薬の夢を抱き、住居の一角に研究所を建てました。当時、慶州にて古代王族の王冠が発掘され、その金冠の名をとって、研究所に「金冠堂」と名付けました。(やがてこれが製品の名前になるわけです。)
火傷等の特効を有する万能治療薬を創製しようと研究に着手しました。これには、大やけどで亡くなった姉の子供のことが忘れられなかったこともあります。
毎日、野山を探り歩いて生薬原料を採集したり、持ち帰った原料を煮たり溶かしたりと、まさに血の出るような執念を燃やし研究を続けました。年月をかけた末のある朝、透明な液体が完成しました。
これが万能外用やけど治療薬キンカンの誕生です。この陰には、山崎社長夫人がその日の生活のためにいろいろ売り歩く等の、“内助の功”もあったのです。
体を張っての販売
1931年(昭和6年)、栄二は東京に進出して金冠堂を設立しました。最初はキンカンをかついで売り歩き、各地で講演会を開いて販売拡大に努力しました。煮えたぎった湯を自分の腕にふり注ぎ、キンカンを塗布して見せる、正に体を張っての販売法でした。
この熱意により、やがてキンカンは文部省成人教育課で採用され、全国婦人会、女子青年団で販売することになるなど、広い販路を得ることとなります。
第2次世界大戦中は、空襲時の火災によるやけどや外傷の救急薬として高い評価を得、戦後はやけどのみならず、虫さされ、肩こり、神経痛等にも使用される家庭常備薬となりました。
虫さされ薬キンカンのCMソング
平和な時代に入り、キンカンの「虫さされ・かゆみ」の効能が大きく打ち出され、「虫さされにキンカン」というイメージが昭和30年代に定着しました。
「キンカン塗って、また塗って」のCMソングが流れ、知名度は上昇していきました。この「キンカンのうた」は藤村洸作詞、服部正作曲、歌は雪村いずみ・ダークダックスによるもので、今でも多くの方に親しまれています。
またテレビ番組「素人民謡名人戦」のスポンサーをつとめたり、社長個人としても(財)日本民族芸能国際交流協会の設立に尽力するなど、社会貢献も果たしました。1988年(昭和63年)5月、創業者・山崎栄二は死去し、その後には長男の山崎寅(すすむ)が代表取締役社長に就任いたしました。
新製品の開発に力を入れる
昭和60年代から平成にかけて『キンカン虫よけスプレー』、「のど飴」や保湿クリーム『トラスティ』を、2000年(平成12年)には、『キンカンクールスプレー』を発売いたしました。創業者の開発精神を引き継いで、キンカンを守りつつ、その姉妹品を世に送り続けてまいります。
商品の特徴
- 『キンカン』は、すばやく患部の熱を奪い去り、皮ふの知覚マヒや血行促進等により、鎮痛・鎮痒・消炎作用を示し、虫さされ、かゆみ、肩こり、腰痛、打撲、捻挫に対して優れた効果を発揮します。
第2類医薬品 ※パッケージは変更する場合がございます。 | |
商品詳細(一例) | キンカン |
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効能・効果 | 虫さされ、かゆみ、肩こり、腰痛、打撲、捻挫 |
用法・用量 | 1日数回、患部に適量を塗布してください。◎キンカンは、「乾かしては塗って、乾かしては塗って」を1日に5~6回くり返してください。 |
成分・分量 |
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商品構成 | 15mL、55mL、120mLキンカン mini(15mLx2) |
※使用上の注意をよく読み、用法・用量を守って正しくお使いください。
商品に関する詳細情報は、株式会社金冠堂の企業サイトで、ご確認ください。