喜谷實母散発売開始年:1713(正徳3)年
あたかも慈母の赤子におけるが如き、婦人のための妙薬。
『喜谷實母散』創業の秘話
喜谷實母散の創業は、正徳3年(1713年)と言われ、その事情は根岸鎮衛(1737年~1814年)の『耳袋』に詳しく記されている。
『耳袋』は根岸鎮衛が役所勤めの合間に、古老の言い伝えや自分自身が聞き知った面白い世間話、事件などを書き留めたもので、当時の庶民生活や風俗を知る貴重な文献と言われている。
隣家の産婦を救った『實母散』
近江国より江戸に出て、楓河岸(後の中橋大鋸町、現在の京橋)で薪炭業を営んでいた喜谷家の太祖・喜谷藤兵衛光長の養嗣となった喜谷市郎右衛門養益は家業を継ぎ、薪炭業を営んでいた。
たまたま長崎にいた実弟が、ある訴訟事件のために江戸に出て来た医師を紹介してきた。市郎右衛門は事件の進捗が遅れ、困窮していた医師某を哀れみ、自家に引き取り3年余、懇切に世話をした。
そんなある時、隣家の豪商某の娘が殊の外の難産となり、両親が市郎右衛門方に救いを求めに来た。医師某は、隣家の産婦を診断のうえ一服の薬を与えたところ、間もなく妊婦の苦しみが去り、お産を終えることができた。死産であったが、母親は無事であった。
目当てとなっていた業平竹が見える 】
諸医に見放された隣家の産婦を救ったこの医師の処方は市郎右衛門を驚嘆させた。医師は長崎に引き上げるに際し、優遇の厚誼に報いるために、秘伝の処方を市郎右衛門に与えた。
その秘伝の処方の詳細は、『産辮』、『本法加減諸法』及び『禁妊婦食考』の3冊にまとめられていた。これらは、現在(株)キタニに保管されている。
かくして、隣家の婦人の起死回生を助けた妙薬の話は四方に伝わり、江戸市内はもとより、四方から人を介して求めに来る者も多く、その妙薬があたかも慈母の赤子におけるが如きをもって『實母散』と命名して、正徳3年(1713年)、広く世間に発売することとなった。喜谷實母散の起源である。
当時、市郎右衛門の本業は薪炭業であった故、人々は「中橋薪屋薬」と呼んでいた。また、店頭の脇に一葉の業平竹が植えられていて、これが實母散の目標とされていたと言う。
商標登録第十六号
風景を画いた錦絵(明治期)】
店頭の竹は喜谷實母散が中橋(現在の京橋)から目黒区に移転した今日でも(株)キタニの玄関脇に生息しており、その祖先の薪屋たることの名残を留めている。また、昔から喜谷實母散の包装のデザインにも取り入れられてきた。明治に入って、商標登録制度が導入された頃、当時の当主8代市郎右衛門は、喜谷實母散の外箱の意匠を商標登録第十六号として認可されている。
この商標は、現在でも喜谷實母散に使用されており、医薬品関係では最古のものとなっているそうだ。
新時代への対応
現在、「喜谷」の製品としては、昔ながらの振り出し薬の他に『錠剤ジツボンS』を発売し、新時代に対応させている。今後とも時代の流れに応じて、望まれる製品を市場に出して行こうと努力している。
商品の特徴
- 喜谷實母散は江戸時代中期より永年にわたり、女性保健薬として多くの方々にご愛用されております。
- 11種類の精選された生薬をバランスよく配合することにより、更年期障害や冷え症など、女性特有の諸症状にすぐれた効果をあらわします。
- 婦人薬の中心処方となるトウキ、センキュウが成分全体の40%を占めており、駆於血剤*であるセンコツを多く含んでいます。*於血…古くなった血、血の滞り
第2類医薬品 ※パッケージは変更する場合がございます。 | |
商品詳細(一例) | 喜谷實母散 |
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効能・効果 | 更年期障害、血の道症*、月経不順、冷え症およびそれらに随伴する次の諸症状:月経痛、腰痛、頭痛、のぼせ、肩こり、めまい、動悸、息切れ、手足のしびれ、こしけ、血色不良、便秘、むくみ1*【血の道症】 月経、妊娠、出産、産後、更年期など女性のホルモンの変動に伴って現れる精神不安や、いらだちなどの精神神経症状および身体症状のことです。 |
用法・用量 | 大人1日1包を次のようにして4回服用する。1回目:熱湯180ml(大きめ茶碗1杯)に1包を浸し、適当な濃さに振り出して朝食前に服用する。2回目:1回目に使用した実母散を同じように振り出して昼食前に服用する。3回目・4回目:2回目に使用した実母散に水270mlを加え、半量まで煎じつめ、夕食前および就寝前に分けて服用する。 |
成分・分量 |
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商品構成 | 5日分(5包入)、10日分(10包入)、30日分(30包入) |
※使用上の注意をよく読み、用法・用量を守って正しくお飲みください。
商品に関する詳細情報は、株式会社キタニの企業サイトで、ご確認ください。