仁丹発売開始年:1905(明治38)年
16種類の生薬配合で、お口も気分もすっきり
「仁丹」の誕生まで
銀粒仁丹の前身「赤大粒仁丹」が世に出たのは、日露戦争の最中1905年(明治38年)のことでした。
当時の日本の医療はたいへん貧しく、まだまだ風邪や食あたりで命を落とす人が少なくなかった時代。創業者・森下博は1895年(明治28年)、出征した台湾で常用されていた丸薬からヒントを得て、あるアイデアを思いつきます。万病に効果があって飲みやすく、しかも携帯・保存に便利な薬を作れないだろうか。
森下は自ら丸薬の本場・富山に赴いて生産方法を学び、薬学の権威の協力で研究をすすめました。
完成した処方に、さらに丸薬の携帯性・保存性を高めるために、表面をコーティングすることを発案しました。最初はベンガラであったものが銀箔へと、このコーティング技術は受け継がれることになります。
名前とシンボルマークの由来に込められた想い
丸薬をつくるにあたって森下は、まず名前を考えることから始めました。
「仁丹」の「丹」は、古代中国では不老不死をかなえる仙薬として知られていました。森下は、その「丹」の字に、読みやすく覚えやすい漢字を考えていたところ、「通天閣」の名付け親である漢学者藤沢南岳と、朝日新聞の論説委員だった西村天囚からのアドバイスをうけ、「仁丹」という名前が誕生しました。
また、シンボルである大礼服マークの由来には諸説あり、一般的にはビスマルク像が図案化されたものと言われています。しかし、森下の言葉によるとマークは外交官だ、とのこと。つまり「仁丹は薬の外交官である」というのです。
「仁丹」の名前とシンボルマークには森下の「多くの人々に商品を手にしてもらいたい。広く世界中の人々の健康のために役立てたい。」という想いが込められているのです。
積極的な世界進出と大規模な宣伝活動
「仁丹」の発売からわずか2年後の1907年(明治40年)、輸出部が新設され、まずは中国から海外市場を開拓。
1912年(明治45年)にはインドにボンベイ支店を開設。日の丸を知らないインド人でも「仁丹」は知っていると言われるほどに知名度を上げます。その後インド、インドネシア、ハワイ、チリ、タイ等、世界で13カ国以上の国に輸出されました。
それと同時に国内では大規模な宣伝活動が行われていました。新聞広告をはじめとし、大阪駅前や東京神田の大イルミネーション等、広告というだけでなく、都市の新名所作りを意図したものでした。さらに町名表示がなく家を捜すのに苦労している、という悩みに応え、大礼服マークが入った町名看板を次々に掲げました。
広告においても広く社会に役立つものでなくてはならない、という理念を示したのです。
これからの森下仁丹
森下仁丹は、創業者・森下博が森下南陽堂開業時に掲げた社是「原料の精選を生命とし、優良品の製造供給、進みては、外貨の獲得を実現し、広告による薫化益世を使命とする」という理念に則り、120年間歩んできました。
「仁丹」のコーティング技術から発展したシームレスカプセル技術の様々な用途への展開、長年の生薬研究から生まれた健康食品や医薬品の開発をすすめています。
今後も人々の健康と社会に役立つ企業をめざして参ります。
商品の特徴
- 16種類の生薬が配合された口中清涼剤。
- 生薬の力が、心と体に穏やかに作用します。
- 気分のリフレッシュに、二日酔いなどの胸のむかつきや、口臭が気になる時などにぜひお試しください。
医薬部外品 ※パッケージは変更する場合がございます。 | |
商品詳細(一例) | 仁丹 |
---|---|
効能・効果 | 気分不快、口臭、二日酔い、胸つかえ、悪心嘔吐、溜飲、めまい、暑気あたり、乗物酔い |
用法・用量 |
|
成分・分量 | 有効成分:阿仙薬、甘草末、カンゾウ粗エキス末、桂皮、丁字、益智、縮砂、木香、生姜、茴香、l-メントール、桂皮油、丁字油、ペパーミント油その他の成分:甘茶、トウモロコシデンプン、バレイショデンプン、中鎖脂肪酸トリグリセリド、d-ボルネオール、香料、銀箔、アラビアゴム末 |
商品構成 |
|
※使用上の注意をよく読み、用法・用量を守ってお召し上がりください。
商品に関する詳細情報は、森下仁丹株式会社で、ご確認ください。